今回のブダペスト行きのルートは下の写真の通りです。 いつものように大西洋を横断し、アイルランドの北西からヨーロッパに上陸しました。 その後、イギリス、オランダ、ドイツ、チェコなどの国々の上空を通過してハンガリーに到着しました。 この日は天気もほぼ良好で、雲を避ける必要がほとんどなかったので楽チンなフライトになりました。 ヨーロッパは北米に比べると狭い地域なので、20分ほどで一つの国を横断してしまうこともあります。 島国育ちの僕にするとなんとも不思議な感覚です。
(写真上:ブダペストまでのルート)
ブダペスト空港は滑走路が並行に2本あります。 着陸は北側の滑走路、離陸は南側の滑走路というのが一般的のようで、この日も北側の滑走路へのアプローチとなりました。 途中で空港北部に積乱雲が発生していたため、少しだけディヴィエーション(deviation)をリクエスト。 ディヴィエーションというのは指示されたルートを外れて雲などを避けることをいいます。 勝手に進路を変更するわけにはいかないことがほとんどなので、航空管制に許可をもらいます。
"Budapest, 〇〇〇〇(我々のコールサイン) is requesting deviation to the left due to weather."
(訳:「ブダペスト航空管制、天気を避けるために左に進路変更をリクエストします」)
言い方はいろいろありますが、こんな感じです。 だいたいの場合は
"〇〇〇〇, deviation is approved, cleared direct XXXXX when able."
(訳:進路変更を許可します。 可能なときにXXXXXに向かって飛んでください。)
といった返事が返って来ます。 この日もそんな感じで雲を避け、指定された地点へ舵を切りました。 しばらくすると空港北部にさしかかって来ました。 そしてその時、管制から違う指示が。
"〇〇〇〇、reduce to minimum clean speed, maintain 5000."
(訳:フラップ等を出さずに可能な限り遅いスピードまで減速して、高度5000フィートを保持してください。)
この時点でアプローチをしていたのは僕ら以外には2機ほどいたようですが、特に他機に近づきすぎている感じでもないし、一体何が起きているの?と思っていたら、「さっき着陸したエアバスがバードストライクを報告してきたので、滑走路の点検中です」という連絡がありました。
空港周辺には鳥が多くいることが珍しくはありません。 理由はいろいろありますが、空港はだだっ広い場所で小動物の天敵が少なかったり、餌となる動物達が住める草むらがたくさんあったり、海や川に近い場合が多かったり、などです。 鳥とぶつかることをバードストライクといいます。 着陸時や離陸時に鳥と衝突した場合、空港管理者は滑走路上に鳥の死骸や飛行機の部品などが落っこちていないかを確認しなければならず、その間は滑走路が一時的に閉鎖されたり、他の滑走路へのアプローチに変更になったりします。
この日は僕がPM(Pilot Monitoring=操縦以外の無線やコンピューターのプログラム等を担当するパイロット)だったので、この時点では「げげげ、お願いだから今からランウェイチェンジとかやめてよねぇ〜涙」という心境でした。 着陸する滑走路が変わるとフライトマネジメントコンピュータ(FMC)のプログラム内容を変更する必要が出て来たり、ILSの周波数を変更して確認する作業が発生したり、ブリーフィングをやり直したりせねばならず、結構面倒なのです。 幸い、この無線会話から30秒ほどしたら予定していた滑走路へのファイナルアプローチコースにレーダーベクターされ、予定通りの北側滑走路に着陸となりました。 やれやれ(苦笑)。
着陸後は駐機場に近づくと通称Follow Meカーと呼ばれる車が我々をお出迎えしてくれました。 その車の後ろに続いて駐機スポットまで入りました。 この空港ではワイドボディ機の場合はだいたいこういうふうにFollow Meカーを使っているんだとか。 なかなか丁重なお出迎えでした。
この日一緒に飛んだ機長はお父さんがブダペスト在住ということで、レイオーバー中は別行動になりました。 ホテル到着後、2時間ほど仮眠を取り、それから僕はブダペスト市内の観光に出かけました。
空港からホテルまでのバスから見えた街並みは見慣れたヨーロッパのそれとは少し趣が違い、旧ソ連や社会主義時代の名残がなんとなく残る街という印象を受けました。 歴史や地理の授業でも習ったドナウ川が流れていて、その川を挟んでブダという地域とペシュトという地域が隣接しています。 その二つを合わせて「ブダペスト」(現地の人はブダペシュトと発音しているように聞こえました)と呼ぶそうです。
ここからは写真で雰囲気をお楽しみください。
(上:ドナウ川には橋がかかっています。 これはリバティー橋。)
(上:ブダ側からドナウ川を望む)
(上:ホテルが連なり、奥には国会議事堂が見えます。)
(上:ドナウ川沿いには食事ができるボートが停泊していたり、観光スポットも多く存在しています。)
(上:ブダ城跡は迷路のよう。 建築様式は独特です。)
(上:建築様式や窓の形など、見ているだけでも面白いです。)
(上:ヨーロッパといえば教会。 これは漁夫の砦の側にあるマーチャーシュ聖堂。)
(上:こういうのがなんとも東欧らしいと勝手に想像。)
(上:路面電車が頻繁に走っています。 なんともレトロなデザインで素敵。)
(上:少し見づらいですが、夕食はFAさん達と。 路地裏にあるカフェバーのようなところで地元料理・グーラッシュスープを堪能しました。)
(上:いろんなところに壁画があって面白いです。)
(上:ここはいくつものバーが入ったSzimpla Kertという人気のパブ・複合施設。)
翌日は朝食を食べ、ホテルから徒歩20分ほどのところにある音楽家フランツ・リストの肖像があるところまで散歩してきました。
(上:リストの肖像。 あまり綺麗な場所ではないところに設置されているのが残念。)
帰りのルートは下のような感じです。
ブダペスト離陸後は北西に向かって飛び続け、スロバキア、ポーランド、デンマーク、ノルウェーをかすめてスコットランド北部からアイスランド方面から大西洋を横断するコースです。 この日は初めてアイスランドのレイキャビック上空を飛びました。 いつもはもっと南のほうを飛ぶことが多いので、アイスランドの陸地を見ることはほとんどないのです。 この日は雲がかかっていたのですが、レイキャビック南部に差し掛かるころに雲の合間から街が姿を現してくれました。
(上:アイスランドの首都レイキャビック)
この日はさらにグリーンランドの上を通過しました。 グリーンランドは雲に覆われていたため、なにも見えませんでした。
地図の高低差を表す色からもわかるとおり、グリーンランドにはかなり高度が高い山岳地帯があります。 万が一の急減圧の場合には一般的に降りる高度である10,000フィートまで降りてしまうと山肌に衝突してしまいます。 そのため、この付近を飛ぶ場合には会社が用意しているEscape Chartという航空図を見ながらフライトし、万が一高度を下げなければいけない場合にはその航空図に書かれている指示通りに飛ぶことになっています。
今回の復路はETOPSではなく、常にもっとも近い空港から1時間以内のルートを飛ぶnon-ETOPSでフライトプランが作成されていました。 そのため、ヨーロッパを離れた後もずっとVHFラジオで無線会話ができました。 アイスランド航空管制の次はカナダのギャンダー航空管制に引き継がれます。 そこからはHFラジオと「CPDLC」という、携帯メールのようなメッセージツールを使って会話もします。 これについてはまたいずれ。
トロント空港には午後5時過ぎに無事に到着しました。 着陸は我ながら満足の行くものとなり、FAさんたちや乗客の方々数名からもお褒めの言葉をいただきました(笑)。 そしてこのペアリング後、13連休となりました。
(つづく)
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